裁判所に行ってきました。
裁判所に行ってきました。
見出しから不穏ですが、別に悪いことをしたわけではありません。家庭裁判所にいってきただけです。
※重要;法律の専門家ではないので、間違っているおそれがあります、必ず裁判所のHPを参照してください。
さて、本日私は川崎にあります、横浜家庭裁判所川崎支部に行ってまいりました。
普通に生きていればそうそう行く機会がないと思います。
当たり前です。家裁はそれこそ離婚調停だったりと身近なものもありますが、離婚なんてそうそうするもんじゃありませんから。
皆さんはこの手続きのことを聞いたことがありますでしょうか。
”子の氏の変更”
読んで字の如くです。子供の名字(氏名)を変更する手続きのことを言います。
この手続をするときは基本的に、父母が離婚したとき、死別したときなどに用いられる事が多く、日本では9割が父姓を名乗ることから、母姓を名乗ろうとしたときに必要な申請となるようです。
私の場合は死別です。これまで軽くしか触れてきていませんが、公にしたいと思います。
目次を今更ですがつけたいと思います。
※注意;重い話です。精神がいいときに見てください。
1.そもそもなんでこんな事が起きたの?
2.2020年、そしてコロナ禍へ
3.急性期/安定期/回復期病院の話
4.鎌倉へ転院
5.突然の電話
6.予想通りの結果、葬儀へ
7.相続手続き
8.子の氏の変更
9.本当はどうしたかったの?
10.まとめ
1.そもそもなんでこんな事が起きたの?
ときは遡り2014年の話、父親の健康診断がありました。(社会人なら当然の話し)
そこで血圧について精密検査を受けろとの結果表が。
当時相当太っていましたので、当然かなと思いました。
2015.16.17.18.19年と、毎年血圧がひっかかりつつげていました。
じゃあ医者に行ってなかったのか?
そんなことはありません。ちゃんと医者”には”行ってました。
そんなことはありません。ちゃんと医者”には”行ってました。
はい。含みのある書き方ですが実際にそうです。
倒れたときに、当然保険証などが必要なわけでカバンの調査が入りました。
そこで発見されたのが当然、高血圧の治療薬です。
処方されたのは2019/8月に処方された薬です。さて、倒れた日付は...2020年2月3日です。
一錠たりとも減っていなかったことから、もらうだけもらって全くもって飲んでなかったということです。
病名は;左被殻出血、つまり脳出血です。
2.2020年、そしてコロナ禍へ
コロナ禍に入ったのは2020年2月1日だと思ってます。
2月1日は指定感染症に指定された日です。
まぁこの前に、父親が唐突にマスクを大量に買ってきたのでなんだろうとは思ってましたが、当時日本ではあまり報道されてませんでしたから。
2月2日、夜寝るときになんか不思議な感覚があり寝れなかったことを覚えています。
運命の3日、3時ごろだったと思いますが、母親に叩き起こされました。
お父さんがなんかおかしいから救急車呼んだ、一旦起きて。
寝ぼけていたので全くもって理解ができませんでしたが、父親は最初こそ意思疎通が取れていましたが、時間を立つに連れて呂律が回らなくなっていきました。
最後にまともに交わした言葉は、大丈夫? だめ...だったと思います。
救急隊が到着したとき、やけに量が多かったことを覚えています。当時住んでたのは団地で、階段が狭かったからです。はしご車が来るとは思いませんでしたw
窓orベランダからはしご車で救出する可能性を持って来たんだと思います。
救急隊がその場で血圧を測りました。当然ですが。
216/120
この数字が意味することはわかると思います。
私が覚えているのはここまでです。同伴は母親だけでいいとのことだったので、私は家で荷物整理して一旦寝ました。
翌朝、担任からの電話で目が覚めました。
どうした、寝坊かと。
とりあえず昨夜のことを話し、17.18時に一旦行くからと言いました。
その後に母親に電話し、搬送先を聞き、自転車で一旦様子を見に行きました。正直初めての道で全く不明な場所でした。
受付で名前を言うと4階の待合室にいるはずと聞き、行ったらいました。
話によると、3時間で終わると言われた手術が全く終わらないと聞かされました。
結局手術が終わり、医者の話を聞けたのは16:30です。
手術開始から10時間以上が経過していました。
3.急性期/安定期/回復期の病院の話
病院で言われた話は、予想以上に出血量が多く、9割止められたが、あとは投薬で止まるはずだと。この時点で結構怪しいのかもしれないです。
当然頭が回ってなかったから。わからないです。
ただこの段階ではまだ回復の見込みがあったはずです。
その日は様子を見て、家のこともあったので解散しました。
その後学校に行って事情を説明して、しばらく不定期しか来れなくなると伝えたところ、来なかった日は出席停止扱い(事実上の公欠)になりました。
翌日から地獄の日々が始まりました。
一番問題だったのはタオルなどの洗濯物です。
アホみたいな量を毎日or2日に一度もってこいという病院の指示があったのです。
一回あたり40枚程度、2.3回は洗濯しないと匂いが抜けなかったり、干す場所の問題だったり、3回に分けないと洗えなかったりと様々な問題があり、休む日の午前に医者に持っていく、回収するをして、午後から夜にかけて洗濯。深夜まで及びました。
翌朝HRだけカットしてなんとかしてもらって授業を受けました。もちろん、2日に1回しかいけませんけど。
これがなんと9月まで続きます。狂気の沙汰です。
アホなんすかね...
2月末。ついにこの発表がされます。
全国一律休校
当時多忙で死にかけていたことから、これは非常にいいことです。
緊急事態宣言?そんなことは知りません。医者に呼ばれてる以上は行くしかないというのが定めです。
転院先...
病院名は伏せますが、4月に転院しました。これは急性期病院では2ヶ月以上持てないからです。
この病院は...地雷だったのかもしれませんね...
まずご時世柄関係なく面会は禁止でした。
更に問題だったのは洗濯です。
なんと、風呂に着衣のままいれていたこと、さらに水を一切切らずに袋に入れて私に渡してきたのです。
むちゃがあります。カビだらけです。
洗濯の量が完全に増えてしましました。
当然抗議しました。回答は
風呂の翌日に取りくればいいじゃん、昔からうちはこれだから黙れ
無茶苦茶です。せめて雑巾絞る要領でいいから、絞るだけしてほしかったですね...
4.鎌倉へ転院
転院調整が厄介でした。
ケースワーカーという人がいるのですが、その人がまさかの秩父を勧めてきました。
当然、調べた限り何もできない場所だろうというのがわかってましたので拒否し、地元である鎌倉付近で探しました。
ただ、当時県外転院はコロナ対応で厳しい状況に置かれていました。
しかし、鎌倉のとある病院が受け入れてくれました。
なぜ受け入れてくれたかというと、もともと鎌倉に住んでいて、祖父母も鎌倉にいたことで引き受けて頂く形となりました。
ここで疑問に思った方もいると思いますが、どうして在宅介護じゃないの?ってところですが無理ですよ、人一人トイレもいけないし、点滴をつけとかなくてはいけないなど、家族に対する負担が大きすぎるのです。
お金で解決しましょうということです。
前病院では、回復の見込みがあったはずですが、この段階ですでに障がい者手帳が交付されていて、内容は身体障害者1級です。
全く動けません。
鎌倉に転院したことで、もはや埼玉にいる理由は私にはなくなっていましたが、学校がありましたのでそのまま住んでいました。
鎌倉では、タオルもすべてレンタルに変更しました(もっとも、病院都合ですが)
かれこれ2年間いたのでしょうか...長かったですね。
この病院は支払いだけ行くことが多かったので全く話はありません。
なので2年ほどカットされます。
5.突然の電話
忘れもしません。9月7日に電話が来ました。
脳梗塞を発症した、これから点滴治療をするが、もしよかったら面会に来ませんか?
これが何を意味するかわかると思いますが、先は長くないということです。
実際に見に行ってます。
帰りがけ、普段なら江ノ電に乗る道ですが、なぜか歩いて帰りました。
母親と同好会に電話をし、あと2日が山だろうと、9割2日以内に亡くなるだろうという話です。
見に行った段階で、白目をむいて痙攣していました。長くないのは目に見えています。
そして9月9日22:20過ぎ、問題の電話が来ます。
危篤だからすぐ来て。ただこれはあとからの話ですが、実態としてはすでに亡くなっていたようなのです。蘇生はしたようですが...
これだけは未だに忘れず覚えている。
3分でしたくをして、万一に備え印鑑と保険証、介護手帳を持って家を飛び出たところに母親が、有無を言わさずそのまま駅にリターンさせた。
かれこれ色々あり弟(母親の)の車で134号を交通流に乗って病院に。
立会は一人だけで奥様だけでと言われ察していた。ですよね…
我々には近隣葬儀社リストが渡された。まだ死んだとの確定的な話も聞いていないのに。
数分後戻ってきて、死亡時間いつにするかを聞いてきた親がいた
医師の話だと、立会をした今か、呼吸停止が起きた22:25か選べた。
今にした、これは各種手続き日数を確保するためです。
6.予想通りの結果、葬儀へ
葬儀ですが、結果的に言うとほぼ記憶はありません。
なるようにしかならないですね、やっぱり。
少し覚えてるのは、葬儀のときに社長がひとりできたことですね。
びっくりしました。
あとは白い化粧箱に入った鳩サブレーですかね...
今後そう見ることはないと思います。
なお葬儀はすでに終了しています。
遺骨は編集時点でわたしの部屋にあります。次の盆で納骨予定です。
7.相続手続き
ぶっちゃけ厄介な話です。
幸いうちにそれほどの財産はありませんでしたから、税金もかからずでしたが、株のストックオプションがあり、そこが非常に問題になりました。
さらなる問題は年金です。
これはまさかの相続人全員が行くことになりました。ゆうても私と母親だけですが。
これだけは書いておきます。
ある口座分ぐらいは住民票(除票)(遺族/相続人全員)とか、戸籍謄本(本人/相続人全員)が必要になるかもしれません。うちは10枚ぐらいでしたかね...
8.子の名の変更
さて、タイトル回収です。
手続自体は、ネットで調べればわかります。割りと。
この申請自体は、書類に不備がなければ拒絶されることは基本ないようです。
提出のために裁判所に一度出頭して終わり。あとは許可証が郵送されるのを待つだけです。
基本的に世の中の皆さんは、父親の姓でしょうから、母親従来戸籍に入ろうとすると、これを実施する必要があります。
流れはこんな感じです(あくまでうちのばあい)
親の婚姻関係終了届け/復氏届の提出(本籍地)
↓
戸籍謄本にその旨が記載(これで母親の手続きは完了)
↓
その戸籍謄本を持って変更する子が
・裁判所指定用書式
・自分の戸籍謄本
・入る戸籍の戸籍謄本
・収入印紙800円
・連絡用の切手(場所によって違うとの話なので聞いてみてください)
をもって各管轄裁判所へ(家庭裁判所←〇〇支部に注意)
↓
1~2週間で許可書が郵送されてくるのでそれを待つ
↓
入籍許可証(裁判所から送付)を持って自治体、役所へ行き入籍届を提出
↓
これで晴れて母親の姓を名乗れるようになる。
といった流れのようです。ただし、私はまだ許可証が来てないので不明です。
大変ではありますが、弁護士に投げるほどのものでもありませんねw
9.本当はどうしたかったの?
父親の姓のままいてもよかったんじゃないかとは思います。
ですが、母親が旧姓に戻ることを熱望したためついていく形となりました。
身分証上でも母親と姓が違うのは、未成年である以上問題になる可能性があったからです。
というか、これが一番大きな理由です。
そのままでもよかったのかなぁ...神のみぞ知る
10.まとめ
意思疎通が取れなくなってから、3年間、いろいろなことがありました。
2020年冬になんとなくでVATSIMを始め右往左往、爆死。
21年初頭にとあるコミュニティに参加したが、意見が合わず撤退。
22年冬、FF14にドはまり。
受験などの兼ね合いもあり、よく奈良県に行くようになりました。
恋愛ではないですが、そんなような経験もできたり。
父親がいないからこそできたことではあります。
うちの父親は暴力isGODみたいな感じで、事あることに殴るのがもはや趣味なんじゃないかと思っています。
確実に父親がいたら、こんなにPCを買っていたり、3ヶ月のうち2.5週間しか家におらずあげく友達とはずっと行くことをしたら間違いなく殺されています。
いる人生、いない人生どちらも考えられますが、いまはもういない人間です。過去には戻れません。
もしタイムマシーンができるようなら、医者に縛り付けてでも行かせていただろうし、薬も強制給餌のごとく飲ませていたでしょう。
過去は変えられない。これにつきます。
ただ、いなかったことにより、新たな仲間、知り合いができたというのもあります。フラシム界隈なんて特に。関西拠点もまたしかり...
今言えることはこれに尽きると思います。
17年間ありがとうございました。
だと...
以上です。ありがとうございました。
2023年4月11日 はる
【重要】一部鯖にこれのぼかしなしバージョンがありますが、それの追記、カット版です。
個人情報になりそうなところは捨ててあります。
【追記】2023/4/27 3時
先日、子の名の変更の許可証がやってきたので、提出してきました。
あっさりでしたね。
いまの人たちはどうだかしりませんが、うちの場合は
本籍;鎌倉市
住所;川崎市
なので、どちらの役所であっても提出可能でした。
(重要;本籍地以外での提出は、入る先に戸籍謄本と、自分が今いる戸籍謄本が必要)
(重要;本籍地以外での提出は、入る先に戸籍謄本と、自分が今いる戸籍謄本が必要)
鎌倉市の人いわく
本籍を先に変えるなら鎌倉市で提出。住所(住民票)を先に変えるなら川崎市で提出したほうが早いということでしたが、GWを挟むために余り変わらないことが判明したために鎌倉市でそのまま提出しました。
GW開けには完全に書類上も変更されるようです。
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